神田外語学院のセンパイ紹介

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大学編入、大使館勤務、そして起業。スペイン語と行動力で人生を切り開く

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受験に失敗した「悔しさ」が転機に

私が高校時代に在籍した学科は英語科でしたので、地元の神田外語大学を受験する友達が多かったのです。それで、とりあえず一緒のところを受けてみようかという気持ちで受けましたが、クラスで6人受けて私だけが不合格でした。勉強に関して初めて悔しい思いをしました。系列の専門学校神田外語学院から神田外語大学に3年次編入学ができることを知っていたので、大学に編入学した時には、現役合格した同級生よりも高い語学力を身につけていようと心に決め、同級生の多くが専攻していたスペイン語を学ぶことにしました。

スペイン語は一言も話せませんでした。そのため、教室に朝一番乗りして、学院が閉まる夜8時まで自習室で勉強しました。通学の電車でも単語帳を開いていました。クラスのみんなもそんな感じで、レベルアップを競うような雰囲気がありました。覚えたてのスペイン語をすぐに使いたくて、学院で学んでいるスペイン語が母国語の友人にいつも話しかけていました。単語をつなげただけの会話でも相手に伝わるのが面白くて、どんどんのめり込んでいきました。学院では、ペルー人のスサーナ先生に大変お世話になりました。1年次に3か月間スペインに留学する際には、学校や宿泊先の手続きをしてくれたり、日本のペルー総領事館に生徒を連れていってくれたり……。スペイン語圏の国や文化を好きになってほしいという熱意が伝わってきました。

神田外語大学には3年次編入学ができました。学院卒業時のTOEIC® testスコアは815点で、入学時に比べると、2年間で300点以上伸びたと思います。また、スペイン語も、日常会話には問題ないレベルになりました。

大学に編入学、在外公館派遣員試験にも合格

学院での学びを通じて、スペイン語を使った仕事がしたいと思うようになりました。親に負担をかけたので、学んだことが身になったのを見せたいと考えるようになったのです。その中で、外務省の在外公館派遣員制度を知って試験を受けました。選抜試験は外国語と一般常識、作文、適性検査の1次試験と、外国語と日本語の面接がある2次試験があります。スペイン語は自分で準備を進め、一般常識は大学で週1回、志望者が集まる勉強会に入って対策問題や国際情勢などを勉強しました。試験には2度目の受験で合格しました。神田外語大学は派遣員を多く送り出しているので、大学のサポートもあるし、志望する仲間からも大きな刺激を受けました。――派遣先は中米・ニカラグアの在日本国大使館でした。

ニカラグア共和国は人口約660万人の小さな国でスペイン語が公用語です。治安の悪いイメージがありますが、実際はそうではなくて、人は素朴で家族のように温かく迎え入れてくれました。大使館での仕事は現地企業との交渉や資料の翻訳、文化イベントの企画・運営などを任されていましたが、一番印象に残っているのはキューバへの応援出張です。2016年に安倍首相(当時)が日本の総理大臣として初めてキューバを訪問した際に、安倍首相とラウル・カストロ国家評議会議長が立ち会ったキューバへの無償資金協力の調印式で、書簡にサインする位置を通訳しました。映像や教科書で見るような光景に自分がいるという興奮がありました。

「世界でいちばん貧しい大統領」との出会いと起業

在ニカラグア日本大使館での3年間の勤務を終えた後、神田外語学院時代からの友人2人と中南米を巡る旅を始めました。治安が悪くて怖そうという中南米のイメージを変えたくて、旅の様子をYouTubeにアップして、訪れた約20か国の情報や魅力を発信しました。同時に、自分たちのプロモーションとして知名度を上げて、帰国後のビジネスにつなげたいと思っていました。
この旅では、「世界でいちばん貧しい大統領」として映画や絵本にもなった南米・ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領に会いに行きました。彼の考えにすごく共感していたので直接話したいと思って、手がかりを求めて国会議事堂を訪ねました。すると、副大統領をしているムヒカさんの奥様が便宜を図ってくれて、自宅に招いてくださったのです。ムヒカさんは、非常に質素な暮らしをされていたのですが、「幸せに生きなさい。幸せに生きるために自分がすべきことを考えなさい」などと、核心を突くような言葉をたくさんいただきました。お別れのハグをした後、私の胸をたたいて、「老いたら一人になるなよ。お前は周りに愛されて最期を迎えろよ」と感動的な言葉をいただきました。心に残る「言葉」に直接触れることができたことは、一生の宝物です。

2020年に帰国して、起業しました。主な事業は中南米からの輸入肉を日本国内で卸す食品事業と、スペイン語のオンライン教室、それとYouTube事業です。スペイン語教室は始めて半年ほどですが、約100人の受講生がいて、講師を増やしているところです。将来的な目標は、1万人を集めるラテンフェスのようなイベントを主催することです。中南米の魅力をたくさん伝えていきたいと思っています。

海外研修をきっかけにベトナムの旅行会社に就職

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短期集中で学べる環境を希望し入学

進学先として最初は大学も考えましたが、時間を無駄に過ごしてしまう気がして、好きな英語が学べて、短期集中で自分を追い込める環境を探すなかで神田外語学院に決めました。2年間で詰め込んだ学習量も多く、しっかりと勉強できたので、選択して正解でした。

国際観光科で学んだ中での思い出として、1年次の必修カリキュラム「ツアープランニング」で実施した「駅からハイキング」があります。国際観光科の約50人が7、8人でチームをつくり、学院に近いJR神田駅を起点にした観光コースを2か月かけて企画し、最後に駅長を含むJR神田駅の皆さんにプレゼンをします。そのチームリーダーに、友達に推されて就きました。人をまとめるのが難しく、チームのメンバーに作業を分担することができず、一人で抱え込んでしまい大変でした。結果的に最優秀チームに選ばれたのですが、自分でできる範囲を超えたら人に頼ることも大切だと、この研修で学びました。
もう一つは、国際観光科の学生全員が大型バスに乗車して、代わる代わるガイド役をする「バス添乗員研修」です。ツアーコンダクターになるための資格に必要な必修カリキュラムです。研修では緊張しすぎて、終わった瞬間にみんなの前で号泣してしまいました。恥ずかしい思い出です。国際観光科は、自分で考え体験する実務研修が多いのも魅力だと感じています。

研修先だったベトナム支社長を訪ね、「働きたいです」

1年生の最後に10日間ほどの自由参加の海外研修があり、ベトナムに行きました。ホーチミン市内を歩いて、日本人が好きそうな観光スポットを見つけて写真を撮り、英語で紹介文を書く観光マップづくりをしました。就活でアピールできそうだと思って参加したのですが、街の活気を感じて「ここに住んでみたい」と直感的に思い、2年生の夏休みに母と妹の3人でホーチミンに再度行きました。本当の目的は旅行ではなく面接。研修でお世話になった日本の旅行会社のベトナム支社長に会いに行きました。事前にメールで「働きたいのでお話をさせてください」とお願いしていましたが、「本当に来るとは思わなかった」と驚かれました。会社に興味を持った理由などを聞かれて入社面接のような感じで面談していただき、現地採用の形で卒業後に働くことになりました。私は興味のあることには一直線なところがあって、決めたらすぐに行動するタイプです。その性格は今のところはプラスに働いているのではないでしょうか。

コロナ禍で旅行者対応業務から動画制作に

ホーチミン本店での仕事は、日本からの旅行者対応をしていました。ホテルやレストランの予約、トラブル対応のほか、高校生の修学旅行も担当しました。忙しかったのですが、イレギュラーなことが起きても機転を利かせて対応できるようになっていくのが実感でき、充実していました。
ベトナム人スタッフは英語を話せるので、業務は基本的に英語です。私はTOEIC® testの勉強はあまり得意ではなかったのですが、在学中に200点アップしました。それは周りの友だちが引っ張り上げてくれたようなもの。試験前になると、自習室で勉強しようと誘ってくれたり、単語を覚えるためのクイズを出し合ったり、「やろうよ」と声をかけてくれたので頑張らなきゃと思えました。それが今につながっています。

ホーチミン本店で1年働きましたが、コロナ禍で仕事が減ってしまい、2020年6月にいったん帰国しました。将来に不安を感じていたときにカンボジア支社の上司から、新しい事業として動画制作の技術研修をするので来ないかと声をかけていただき、2020年8月からカンボジアで旅のPR動画などの制作や編集をしています。
すでに会社には伝えましたが、2022年3月で退社し、3年次編入学ができる大学への進学を考えています。経営的な視点を備えた人材になれば、仕事のやりがいや幅が増すように感じられ、経営学を学びたいと思っています。コロナで仕事が減った経験や、エネルギッシュでポジティブなベトナムの人たちを見て刺激も受けました。まだ22歳なので、悩むよりまず動いてみようという気持ちで、挑戦したいと思います。

この先生についていきたい 体験授業で決めた入学

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中学1年の初搭乗が夢を追うきっかけ

 父の母国の米国に移り住むことになって、中学1年生で初めて飛行機に乗りました。米国の新学期に合わせた9月だったので、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロを振り返る映像がテレビでよく流れていて、飛行機に乗るのが怖くなってしまい、その不安気な表情をCAの方が察してくれたのだと思います。何度も私の席に来られて、やさしく声をかけていただきました。その姿が素敵で、こういう仕事があることを知り、米国に着いてからすぐに客室乗務員の採用条件を調べました。
 
 神田外語学院を選んだ理由は、体験授業を兼ねた学科説明会で、太田京子先生に一目ぼれしたからです。太田先生は国際エアライン科のコーディネーターで、学科全体をとりまとめている方でした。体験授業では「主体変容」という言葉を使われて、社会で必要とされる人材になるための心構えをお話されました。たとえ失敗しても環境や人のせいにせず、自分の行動をどう変えていけば良いかを瞬時に考えるマインドを持ちましょうと。
 物事をネガティブに捉えがちだった私に、このお話はすごく響きました。ほかの専門学校では、制服を着てみたり、機内を見立てて飲み物を提供したりといった体験授業を受けましたが、私に必要なのは「CA業務の体験」ではなくて、本気でCAを目指す私に、本気になって対応してくださる先生なんだと分かり、太田先生についていきたいと思いました。

学んで身に付けた「人間力」で内定

 印象に残っている授業は、接遇力養成講座です。本の一節を読んで、感じた気持ちをその場で発表する授業があるのですが、とても緊張したのを覚えています。最初はうまく表現できなかったのが、回数を重ねていくうちに、素直な気持ちを瞬時に伝えられるようになりました。この授業は就職活動の糧になりました。面接で緊張してしまい、自分の思いがうまく伝わっていないのが分かった時、とっさに「上手にお話できず申し訳ございません。私がお伝えしたいことは」と言って、いったん整理しました。

 暗記してきた言葉を一方的に話すのではなく、緊張感のなかで「対話」を意識できたのは、コミュニケーションやホスピタリティ・マインドといった人間力を身に付ける授業の学びが活かされたのではないかと思います。それがANAウイングスの内定につながったのかなと、自分では思っています。

恩師の言葉が「心の薬」に

 航空会社から内定をもらった時は、うれしさと感謝の気持ちでいっぱいでした。面接前の待合室で採用担当の方が「緊張するよね」などと学生一人一人に声をかけていたことが印象深かったです。内定の電話をいただき、真っ先に太田先生に報告しました。実は就職活動中に自信を失くして、航空会社以外の企業も受けていました。それを太田先生は「いろいろなところに種を蒔いているのかな。就職活動を終えた時、笑顔でいる小林さんが今から想像できますよ」と、自信のなさからの行動を前向きな言葉に換えて、不安な気持ちを支えてくれました。内定を報告すると、「やっぱり大丈夫だった」と喜んでくれて。ナイーブな時期にいただいた先生の言葉は「心の薬」でした。

 CAとしてお客様が機内で安心して快適に過ごしていただけるよう安全面の確保とサービスの提供に努めています。新型コロナウイルス感染症の影響で減便が続いていますので、現在は月10日前後がフライト業務です。中部国際空港を拠点に、中部・仙台間と中部・新潟間の往復で1日4便に搭乗する日もあります。やりがいを感じるのは、お客様が笑顔で飛行機を降りられるときです。「ありがとう」の一言が励みになります。

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