東北エリアのゼミ・研究室検索結果
32件
1-30件を表示
経済学部経済学科 髙畑ゼミ
日本の農業は、世界と競争する時代を迎え、取り巻かれる状況は複雑になっています。ヨーロッパで生まれたGAP(農業生産工程管理)を日本でも普及させる動きのほか、農家自体が農業経営を考えなければならない傾向にあります。例えば「六次産業化」も、そのひとつ。六次産業化は、農産物の生産・加工・流通・販売に取り組むことで所得の向上を目指します。これからの農業に関しては、経済学部で学ぶような広い視野と経営戦略が必要となっているのです。農業に関する新技術や新たな発展の機会が生まれている中、ゼミでは農業における「監督的」な役割である農業経済学を学びます。 ゼミでは基本知識を身につけるため、農業経済に関する本を読み、農家から聞き取り調査を実施します。調査結果をまとめたのち、経済的な分析を行います。日本の農業は、家単位の経営が伝統的なので、法人化しても解決しない問題を抱えています。日本の食の安心・安全、六次産業化のような農家の所得向上に資する取り組みを考え、日本の農業を護っていくためにも、学生が持つ柔軟な発想と行動力に期待するゼミとなっています。
髙坂ゼミ
会計学や簿記を学ぼうとすると、難しい用語がたくさん出てきて、苦手意識を持ってしまう人は少なくありません。ゼミでは、学生の興味をかきたてながら主体的な姿勢で臨むことができるよう、全員参加型の進行に重点を置いています。積極的な意見発表や活発な議論を促すことで、苦手意識を改善できると思います。中心となるのは財務会計論のテキストの輪読です。メンバーで分担しながら内容を読んで要約したり論点を見出したりしながら、会計にまつわるたくさんのルールに触れることが一つの目的となります。さらに、会計には会社法、金融商品取引法、税法といった法律が関係しているので、テキストだけでなく、法規集も読みこなせるよう練習していきます。3年次は会計の基礎知識と文章読解力、理論構築法を磨きながら興味関心のある研究テーマを見つけ、4年次は卒業論文の作成に取り組みます。会計の応用範囲は広く、農業に興味のある学生には農業会計という領域がありますし、自治体職員を目指すのなら公会計を知ることは大きな意味があります。将来の進路に結びつけて、自分が深めていくべき分野を意識しながら会計のプロを目指すことが、最終的な目標となります。
内城ゼミ
スポーツ文化は人間の「する」・「見る」・「支える」行動によって成り立っています。スポーツ行動を研究対象とする際は、目的を明確にし、方法や規模を適正化することが必要になります。具体的研究テーマは、「各国サッカーリーグの経営戦略分析」や「常勝チームのチームビルディング」、「自治体、企業による健康経営」、「所得格差と健康格差の相関」、「家族のスポーツ志向性が与える影響」等が考えられますが、学生自身が興味関心を持って調べたいことを設定します。 スポーツ行動を学び、社会に役立つ調査研究をするには文献から多様な事象を読み解くことが必要となるため、保健体育の他に社会や理科(特に生物)、国語、数学等の基礎知識が欠かせません。また、3年次は調査研究に必要な方法論や専門知識を学ぶ時間となりますが、4年次では実験やアンケートなどで見えた研究成果を社会に還元できるようにしたいと考えています。スポーツ文化を支えるスポーツマネジメントに通ずる人材として、保健体育教員、公務員や体育協会、関連民間企業等に羽ばたくことを期待しています。スポーツ指導者、健康運動の地域のリーダーを目指すことは身近な目標になると思います。
関上ゼミ
マーケティングとは、ひと言でいうと「売れる仕組みを作ること」です。この考え方は、時代とともに変化してきました。マーケティングの概念が確立した1950年代は、安価に作ったものを大量に売ることを目的とした「製品中心」でしたが、やがて顧客が求めるものを提供する「消費者志向」にシフトし、現在は社会活動に軸足を置いた「価値主導」に推移しています。ゼミでは環境保全や地域振興を目的としたマーケティングを研究対象とし、SDGs(持続可能な開発目標)の取り組みを意識したマーケティングも取り上げていきます。 東北の主要産業である「農業」、岩手県北地域の基幹産業の一つである「アパレル」、地方特有の資源を生かし誘客を考える「観光」の3グループに分かれ、企業調査やボランティア活動を交えながら、それぞれの分野で地域を元気にするマーケティング手法を考えていきます。この活動を進めながら自分の研究テーマを決め、データを収集し、プレゼンテーションを行い、論文を作成します。これは、社会に出て仕事をしていく上で、基本となるやり方です。論文で研究成果をまとめ上げるとともに、今後に生かせるスキルを身につけていきましょう。
遊佐ゼミ
早期英語教育の導入にともない、教員、保育者に確かな英語力が求められています。このゼミでは3年次に言語獲得のメカニズムを学びながら、日本の英語教育を歴史的、社会的側面から検証し、併せて海外の外国語教育の現状にも触れます。 4年次には様々な英語教授法の中から早期英語教育に生かせるものを探し、最終的には自分自身の外国語教授法をレポートにまとめて発表します。高度な英語力を身につけた各界の著名人の学習法も参考にします。そして机上の学問だけでなく、姉妹校の幼稚園や児童館において見学や実習の機会を与えられます。学生たちはジェスチャーや音楽、遊びなどを使った教授法を実践し、子どもたちの反応を通じて多くのことを吸収していきます。現場の先生方のアドバイスも受けながら、学生は少しずつ自信を持ち、幼児・児童の教育に携わる者のやりがいを実感していくのです。
岡ゼミ
ある先生との出会いをきっかけとして教師を志す、学校生活に対する疑問から教育についてもっと知りたいと考える、このような実体験に基づく思いは、自らを支え、道標になってくれるでしょう。しかし、経験は時に思い込みとなって眼を曇らせます。誰もが身近に感じられる分野だからこそ、教育を語るためには客観性を意識する必要があります。 本ゼミでは、学校改革、教師の資質、子どもの才能、子育て、外国の教育などの多様なテーマから、受講する学生の興味・関心に応じて文献を選び、その内容に関する発表・討論を通じて理解を深めています。学校や教育資料館などを見学して、教育の実践や歴史について見聞を広めることもあります。物事の背景を知り、多様な考え方に触れることで、新しい発見や疑問が生まれ、学びが楽しくなるはずです。
松好ゼミ
本学の地域貢献研究センター事業の一つに子育て支援事業があります。本ゼミではその子育て支援事業である「ゆりっこ広場」の運営を担っております。毎月地域の親子を招き、様々な遊びと、本学教員による専門性を生かした多種多様な保護者向け講座を開設し、地域の子育て支援に取り組んでいます。本ゼミは、当日の運営のほかに、準備段階では保育ソーシャルワークとしての子育て支援や子どもの発達を理解するためのケースカンファレンスなどのほか、参加する子どもの年齢に合った保育実践について考え、保育教材や壁面装飾などの製作などから学びを深めています。 いま、日本は子育てがしにくい状況といわれ、少子化も進んでいます。また、外国籍の方、ひとり親、発達障害や精神障害を抱えている保護者など、様々な形で支援を必要としている家庭があります。 多様化する社会に保育者としてどのように向き合うのか、保育者として子どもの発達を促すにはどうしたらよいのか、子育て支援にどのように取り組んでいけるかを考え、実践と研究を繰り返すことで学びを深めているのです。 保育所や幼稚園、施設などの現場経験のあるゼミ担当者であることから、実際に保育現場で起こったリアルな事例検討や、発達段階ごとの子どもの特徴や遊びの提供の仕方など、より実践的な学びが得られる内容となっています。一緒に学びを深めていきましょう。
志水ゼミ
誰もが自分らしく暮らしたいと願っています。しかしながら、さまざまな理由から、自分らしく暮らすことが難しい人たちがいます。学校や家庭、職場に居場所を見出せなかったり、人との関わりに困難を抱えていたり、障害があって希望する仕事に就けなかったり、介護が必要になったりなど、人生を送る上で直面する課題は多様です。 このような課題を抱えた人たちに対して、ソーシャルワークという技術を活用し支援する人をソーシャルワーカーと言います。本ゼミでは、学生の関心領域に合わせて、ソーシャルワークの視点から、予防から具体的な実践までを含む支援のあり方を学んでいきます。
結城ゼミ(社会心理学)
「なぜ人は、周囲に人がいない時にはゴミをポイ捨てするのに人がいる時にはしないのか?」「どうすれば人の心を動かし説得することができるのか?」等、本ゼミナールでは、5W1H(Why(なぜ)、Who(誰が)、When(いつ)、Where(どこで)、What(何を)、How(どのように))の疑問の種を大切にしています。インターネットが普及した現在、疑問があれば手元にあるPCやスマートフォンですぐ調べることができます。疑問点を調べればまだ良い方で、疑問を持たない、あるいは疑問を持ってもそのまま放置してしまう人もいるかも知れません。インターネットのような便利なツールがなかった時代には、図書館に足繁く通い文献を調べたり先生や先輩、同級生と議論を戦わせていました。そのような努力をして疑問が解決したときの充実感はひとしおでした。学問の楽しさはそこにあると思います。 本ゼミでは、議論が白熱し授業時間内では終わらないこともしばしばあります。自分自身で言うのも憚られますが、比較的質問しやすいタイプの教員だと思います。本学の少人数制のゼミの特徴を生かし、一緒に研究を創り上げながら学問の楽しさを感じませんか?仙台白百合女子大学でお待ちしています。
神田ゼミ(栄養教育)
わが国では、過食や拒食、肥満や痩せ、低栄養、運動不足など様々な問題を抱えている人も多く、健康で長生きしていくためには栄養や健康について教育する機会が必要となります。しかし、習慣となっている生活の変化には抵抗をする人も多いです。また、そもそも「変える必要がない」と自分の問題に気づいていない人、認めたくない人もいます。そこで現状や問題を把握し、どのようにアプローチしたら効果的であるか等をゼミ生たちと考えながら、様々な対象者のへの栄養教育について検討します。 <過去の問題把握と検討の一例> 1) 若年女性の健康状態および栄養状態の検討 2) 学童期における効果的な教育教材の開発(特に栄養教諭免許取得を希望している学生にとって良いテーマであると思われます。また過去の栄養教諭免許取得希望学生の多くが選択しております。) 3) 思春期における痩せ願望とその対策 4) うつと食品摂取頻度とナッジ理論を用いた栄養教育 5)心理的状況と嗜好品(菓子、酒等)摂取との関連性とその対応 上記のように神田ゼミでは健康、食生活等、ゼミ生一人ひとりが関心のある分野を調査研究しています。 その他として次のようなこともあります。 1) ゼミOGとの懇談会:年に1度、卒業生と在校生が交流を深めるOGとの懇談会を開催しています。卒業論文の進め方や就職活動、国家試験合格への秘訣、社会人生活についてなど、時間外の土曜日に行われ希望者のみの参加ですが在校生が卒業生からいろいろなアドバイスをもらえる良い機会となっています。 2)国家試験対策 3)歓迎会、送別会 以上、学生たちとともに私自身も成長できたらと思っております。
公衆衛生学 鈴木研究室
公衆衛生学は、これまで医学の一つとして研究が行われてきました。医学といえば、疾病の治療が思いつきますが、それだけではなく、健康の維持・増進も目的としています。私たちの健康を考えたとき、現在の新型コロナウイルス感染症は、社会経済に大きな影響を与えました。このように、私たちの健康は社会環境に密接に関連し、その両方の視点から考える必要があります。 私たちの食習慣は生活習慣病と関係しています。近年では、所得などの社会経済的地位も食習慣と関連していることも分かってきました。これらの健康課題に対して、データ分析に基づく科学的根拠を通じて、私たちの「健康」を皆さんと一緒に考える研究を行っています。
矢島研究室
食の分野を学ぶ「管理栄養士」は、日本の食文化を次世代へ継承していく一旦を担う役割があると考えています。「食育に関する意識調査報告書(令和3年)」(厚生労働省)によると、食文化を受け継ぐことは大切だと思うと回答した人は87.5%と高い割合でした。生まれ育った地域の郷土料理や伝統料理について知っている人の割合は57.0%、家庭料理や地域で受け継がれ伝えられている料理について知っている人は約20%と低い割合でした。この結果から、近年の食の多様化のなかで失われてしまった料理や食材があることが懸念されます。 そこで、ゼミ活動では先人たちの知恵の結晶である地域の郷土料理・食材をどうすれば伝承・継承していくことができるのかを一つのテーマとして、まずゼミ生の生まれ育った地域の郷土料理や行事食や特産品、気候や風土などの文献調査を行い、郷土料理や家庭料理のレシピを再現調理することを行っています。また、食の継承の一助として、地域の食材を用いた料理の考案にも取り組んでいます。
山田恵ゼミ
グローバル・スタディーズ学科には、イングリッシュインテンシブ・スタディコース、共生社会スタディコース、グローバル文化スタディコースの3つのスタディコースがあります。このゼミはどのコースに所属する学生でも受講できますが、主にイングリッシュインテンシブ・スタディコースで、アメリカ合衆国の歴史や文化の知識を深めたいという学生が受講しています。英語の読解力を高める目的で、英語教員を目指す学生も受講していますし、留学から帰国してさらに学びを続けたいという学生も受講しています。 扱うテーマは多様で、受講する学生の興味や関心に合わせて読む英語の文献を選び、その内容について発表や討論をすることで、理解を深めています。例えば、映画研究についての英語の文献を読み、人種やエスニシティ、ジェンダーがどのようにディズニー映画やハリウッド映画に表現されているかについて発表や討論を行ったりしています
マスローゼミ
外交、国連、グローバリゼーション、ナショナリズム、貿易、戦争、平和・・・私たちは、日頃から新聞やテレビニュースの中で「国際政治」に関連する言葉を多く見聞きしています。ではその「国際政治」とは何でしょうか。国際社会には様々な対立があります。近年、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」をはじめ、国家が対話や協力によって「国際政治」を行い、「和解」によるグローバルな問題の解決に取り組んでいます。国家間の政治には、戦争と平和、国境を超える新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のような感染病、テロ、環境汚染、難民問題、地球温暖化、貧困等の問題が数多くあります。 このような問題を解決するために国際社会は何ができるのか、そして、国連のような国際機構、NGOといった市民社会、企業、そして私たちにはどのような役割を果たすことができるのでしょうか。様々な国際社会の事例研究を通して個人の社会的貢献を念頭に、政治学とりわけ国際関係論のゼミでは、このような諸問題の原因と分析方法について学びます。
石井裕明ゼミ
子どもの発育や発達に関する問題や課題は、変化し続ける社会情勢や情報技術の発展により多様化しています。本ゼミでは、幼児期から児童期を中心テーマとして、健康・遊び・学校体育・スポーツについての理論や課題を実践者としての観点から研究します。毎回、各学生が研究テーマに関する話題や文献を持ち寄り、発表とディスカッションを行います。不確かなことを調べてみたり、分からないことは試してみたり、他の意見や立場に触れたりしながら卒業研究の課題を具体的にし、仮説を立て、文献やデータをまとめることに繋げていきます。 こうした学びの試行錯誤を通して、保育・教育の実践者として子どもたちの健やかな育ちを支える力と豊かな人間性を引き出す力を身に付けてほしいと考えています。 私の目標は、「あそビート」の育成です。「あそビート」とは遊びとアスリートが一緒になったら面白そうだなと思って作った言葉です。大人になっても遊びに真剣に取り組み、競技を遊びのように楽しむことのできるような人が育つ環境づくりを考えています。 時間にとらわれず何かに没頭する子どもの姿から遊びの本質を探し出し、子どもたちが出会うスポーツを勝敗にこだわることに価値を見いだすだけではなく、競い合うことやチャレンジすること、関わること自体も楽しむことのできる環境の在り方について一緒に考えてみませんか。
加藤ゼミ
皆さんにとって音楽とはどんな存在でしょうか。近年は「カラオケで歌うことが好き!」と言って頂ける学生も多くなってきましたし、街なかで何気なく聴こえてくる流行歌に「この曲良いな」とふと心動かされたり、自分を励ますために必ず聴く「お気に入り」の曲もあったりと、音楽を身近な存在と感じることができる人も多いかも知れません。 では音楽の授業や保育での音楽表現(遊び)はどうでしょうか。本学科は学科の特性上、一般の方よりも音楽に対してポジティブに考えられる学生が少し多いかも知れませんが、一般的には「幼稚園のマーチングから音楽が嫌いでした...」や小学校でも「鍵盤ハーモニカを演奏し始めて音楽が嫌いになった」、「合唱が嫌いだった」「声変わりしたら歌いたくなくなった...」など、音楽に苦手意識がある方が必ず一定数以上いることも事実かと思います。 しかし、やはり音楽は「“音”を“楽”しむ」もの。『楽しい』音楽の授業や音楽表現(遊び)のためには、教員・保育者はどのような知識や技能が必要でしょうか。私たちのゼミでは、ひとりでも多くの子どもたちに「音楽が楽しい」と思ってもらえるように、文献分析や教材研究、ディスカッションや実際の教育現場での実践を通して、小学校音楽や保育での音楽表現(遊び)における新しい可能性の検討、また提案をしています。
下村研究室(保育職志望学生対象)
保育における園外活動や園庭環境を研究テーマとする学生が多い中で、ゼミでは、文献購読などと合わせて、田植え(泥んこ遊び)等の自然体験や遊具(一本橋やロープブランコ等)体験、電動工具も用いる遊具整備を経験します。また、一品持ち寄り「弁当の日」(コロナ禍で現在は休止中)を通して、調理経験や食育への関心を高めつつ、皆でご飯を食べることでコミュニケーションを深めています。 これらの体験をベースに、学生各自が研究協力園を積極的に訪問し、保育現場に学ぶ実践的な研究に取り組んでいます。全国各地の保育現場を訪問することがライフワークである下村の姿勢は、着実に学生にも受け継がれ、卒業生は各地の特色ある保育現場で活躍しています。 (ゼミ生の就職先の一例) 三瀬保育園(鶴岡市)、はらっぱ保育園(山形市)、たつのこ保育園(山形市)、卸町光の子保育園(仙台市)、鳩の森愛の詩瀬谷保育園(横浜市)、川和保育園(横浜市)
福田ゼミ
ゼミには主に乳幼児期の子どもの育ちや保育に関心のある学生が集まり、各自でテーマを決めて卒業に向けて研究しています。ゼミの学生の関心はさまざまで、例えば今年度の研究テーマには、幼少期のきょうだい関係・親子関係等がその後の人の行動傾向に与える影響、遊びの中で育まれる子ども同士のコミュニケーション能力、子どもの自己理解・他者理解の発達、絵本読み場面での保育者の関わり等があります。毎週担当の学生を決め、その学生が自分の研究テーマに関連のある過去の研究をまとめ紹介します。そしてゼミ生全員で、さらに研究を発展させるにはどのようにしたらよいか意見を出し合います。子どもの育ちの中にある一定のルールのようなものを探すプロセスではありますが、本来、人の人生は個性豊かなものですので、ゼミ生一人一人のこれまでの経験等も踏まえながら意見交換することで、子どもをひとまとめに捉えるのではなく、個性や育ちの個人差などもふまえて育ちを考える機会になればと思っています。
教育の情報化ゼミ
この情報化社会に生きる我々は、情報化に対応した学びの環境を考えてゆかなければなりません。ようやく近年では、学校の各普通教室にプロジェクターや大型ディスプレイが整備されてきたように思えます。そこでは、先生や児童生徒達が手にする情報機器を通じて大きな画面に映し出しながら、日々の学びを深めてゆくための前提となる環境がようやく整った段階に来たとみて良いと思います。 では、学校の内外問わず、日常我々が手にしている情報機器は何でしょうか。それは、教育の文脈でよく出てくる「タブレット」よりも、「スマートフォン」ではないでしょうか。これらタブレットやスマートフォンは、学校における学びに結局活かされている状況にあると言えるでしょうか。結論から言えば「まだまだそのような状況ではない」ということになります。 内閣府による『令和2年度 青少年のインターネット利用環境実態調査』の結果を見ると、スマートフォンを使ったインターネットの利用率は、男女とも12歳の段階で半数(50%)を超え、15歳~16歳では9割を超え、高校卒業までにはほぼ全ての青少年がスマートフォンでインターネットの情報を利用しているという状況になります。この結果だけを見ると、児童生徒達はスマートフォンを自分の道具として使っている姿が見えてくるでしょう。 ところが、OECD(経済協力開発機構)が3年に1度実施しているPISA(生徒の学習到達度調査)の結果を見ると、国際平均と比べて我が国の15歳の生徒達は、学校内外問わず、「学習用途」では情報機器をほとんど使っていません。我が国の生徒達はもっぱら、ネット上での私的なチャットや、1人用ゲームで遊ぶという用途において、国際平均よりも高い使用頻度であるという結果が出ています。 つまり、タブレットやスマートフォンなどの情報機器が、児童生徒達の学びに充分に活用出来ている状況にあるかというと、残念ながらまだまだそのような状況ではないのです。 タブレットやスマートフォン、あるいはノートパソコンといった情報機器を使った学びを有効に進めるためには、これら情報機器を、「黒板(とチョーク)」や「紙の教科書」「紙のノート」といった、教室に当たり前にある道具の単なる「置き換え」で考えてはなりません。情報機器は、我々人間の能力を「増幅」させるための道具です。つまり情報機器を有効に使った児童生徒達の学びは、従来までの学びに留まらない、学びをより「有効に増幅」させるための使い方を見出さなければなりません。そして、学びを「有効に増幅」させるための使い道の方向性としては、文章を書いたり、音楽を作ったり、動画を作ったり、プログラムを書いたりといった「表現」に関わる活動を、児童生徒達自身で試行錯誤しながら「創造」していく比重を、より高めてゆく必要があると考えます。 本研究室では、このような情報機器を活用しながら、児童生徒達の創造的な活動を高めるための方策を探る研究を進めており、特に最近では「音楽」(音楽づくり・作曲)に注力しています。 音楽のみに限らず、児童生徒達の学校内外における情報機器の学習活用について、一緒に考えてゆきませんか。ぜひ本学にて気軽に研究室を訪ねてみてください。
阿部いそみ研究室
「変身」は物語の重要なモチーフですが、日本とヨーロッパを比べると大きな違いがあります。ヨーロッパの昔話では、変身するのは動物ではなく人間です。グリム童話の「白鳥王子」の白鳥は、元々は王子、すなわち人間です。図式化すると「人間→動物(白鳥)→人間」です。ヨーロッパの昔話のほとんどは、魔法昔話と呼ばれ何らかの変身が描かれますが、その変身はすべてこのパターンです。つまり変身するのは人間です。他方、日本の昔話の場合、例えば「鶴女房」は、助けられた鶴が人間に姿を変えて女房になる話ですが、ハッピーエンドで話は終わりません。布を織っている姿を見られると、鶴になって飛び去ってしまいます。「動物(鶴)→人間→動物(鶴)」です。変身パターンが、ヨーロッパと日本で異なるのはなぜでしょう。それは動物についての考え方が全く異なっているからです。変身は、魔法を使う霊力があってはじめて成立します。ヨーロッパの昔話における動物は、魔法を使う霊力をもっていません。もっていないというよりも、もつ存在として認められていません。この背景にあるのはキリスト教的自然観です。キリスト教は人間中心主義のもと、人間以外のすべての存在は人間よりも低い位置にいます。動物は魔法を使う霊力をもつ存在ではないのです。日本の場合はどうでしょう。日本古来の宗教は自然宗教です。自然宗教の神は、キリスト教の超越的で絶対的存在である神と大きく異なります。日本の自然宗教における神は、自然の異常な力に過ぎず、人間に対して威力をふるい、畏怖の対象となるものです。代表的なものとして雷があげられます。「かみなり」を「神鳴」とも記すことからわかります。日本では、自然の万物すべてを、霊力をそなえ人知を超えた不思議な能力をもつ神として崇拝してきました。昔話における変身パターンの日欧の違いの背景には、このような自然観の違いが関係しています。 そして、自然観の違い・宗教意識が死刑制度に対する考え方に影響を与えている、ととなえる立場もあります。EU加盟の条件に死刑廃止国という項があるように、ヨーロッパ諸国のほとんどが死刑制度を廃止していますし、現在の趨勢は「廃止」です。ところが日本は、極悪犯罪の件数が世界的にも極めてわずかであるにも関わらず、「存置」を支持する割合が高い国です。なぜでしょうか。この謎についてさまざまな理由が考えられてきましたが、日本には超越神が存在しないということとの関連を指摘する研究があります。超越的絶対的神をもたないがゆえに、それを求めようとする心性が強い。そうした心性が、絶対的な権力としての死刑制度という最大の強制力に依拠する傾向がある、という考えです。キリスト教諸国では死刑制度という法による処罰を待たずとも、罰する存在(超越神)を有しています。しかし日本のようないわゆる無宗教の国においては、仮に死刑制度が廃止されたとき、厳罰を処す立場はゼロとなります。死刑制度廃止とは、キリスト教諸国においては罰する存在が「2→1」という変化ですが、無宗教の国においては「1→0」です。有と無は大きな違いです。死刑制度にとどまらず、日本人のさまざまなもののとらえ方の根底には、この心性が深く関わっている可能性があります。
澤ゼミ
私たちが日頃やりとりしている会話にはどのような仕組みと働きがあるのでしょうか。私たちは、家族や友達、初対面の人など、いろいろな相手に、様々な場面でことばによる、あるいは、ことばを使わずに、コミュニケーションを行っています。時には無意識に、時には相手や場面を強く意識しながら、自分の考えや気持ちを伝えています。たとえば、仲の良い友達の依頼や誘いを「断る」という場面では、相手の気持ちに「配慮」した言い方をしようとするでしょう。その相手が仲良しの友達ではなく、少し距離をおきたいと思っている相手なら、「配慮」の度合いを下げ、もう少しストレートな言い方をするかも知れません。相手が日本語をうまく話せない外国人なら、ジェスチャーを交えるなど、また違った言い方を工夫しなければならないかも知れません。 このゼミでは、談話分析という手法を用いて、何気なく送っているこのような日々の言語生活を見つめ直し、体系的に考えることで、言語意識を高めます。特に、対人、小集団、異文化コミュニケーションの理論を踏まえながら、自らのコミュニケーションの気づきやコミュニケーション能力向上のためのヒントを見つけます。日頃の言語生活を研究の対象にしてみたい方はぜひ一緒に学びましょう! 参考URL:researchmap https://researchmap.jp/hee9924802
下村美保ゼミ(地域福祉)
私たちが暮らす地域社会はどのようなところでしょうか?地域社会で暮らす人々、家族や住まいの形、つながり方、働き方など、地域社会を構成する要素が多様化・複雑化しています。そのような、地域社会の多様化に伴い地域生活課題も多様な形になっています。 母子世帯や病気や障がいのある世帯など、家族の問題等が重複することによる「生活困窮」の問題、介護が必要な80代の親と無職でひきこもり状態の50代の子が同居している「8050問題」、共働きによる親の介護と子育てなどの「ダブルケア」などの多様で複合的な課題。 免許返納により買い物や通院のための移動が困難となることや、雪かきやごみ出しが負担となるといった高齢期の生活困難課題。ホームレスや外国人、刑務所出所者の地域生活が困難となる社会的排除の問題。地域生活に移行する障害者を支える仕組みや意識の希薄の問題など、制度の対象とならない「制度の狭間」の問題などが存在しています。 地域で生活課題の支援をするコミュニティソーシャルワーカーは、これらをどのように解決していけばよいのでしょうか?地域福祉の考え方で大切にしたいのは、生活課題というニーズに対してどのように充足していくかという視点で支援することです。既存の制度に当てはめて考えるのではなく、個別の課題に寄り添って支援するということです。時代の変化とともに生活課題も変化していき、それに応じて支援も開拓・創造していく必要があります。 本ゼミでは、身近な生活課題や地域の多様で複雑な生活課題について理解を深め、学生自身の関心領域に応じて研究活動を支援していきます。地域包括ケアシステムや多機関協働による包括的支援体制の構築など、地域共生社会の実現を目指している今日の我が国におけるコミュニティソーシャルワークのあり方についても深めていければと思います。是非一緒に学びましょう。
心理学研究室
私は、これまで実験心理学者として、心理測定・心理学研究法の立場から、乳幼児の発達研究、組織行動、キャリア発達、生徒指導など興味の向くまま節操なく関わってきました。しかし最近では、反応時間や近赤外線法による脳血流などの生理指標を含めた客観的指標によってパーソナリティ測定の可能性について研究を進めています。まだ、このテーマは日本では研究事例が少なく、ヨーロッパの研究が先行している状況です。少しでも新たな知見が得られればと思い研究に取り組んでいます。研究を進めれば進めるほど疑問が増える領域ですが、少しずつ明らかにしてゆこうと考えています。 パーソナリティ研究では、類型論が古くから主導的立場を取ってきました。しかし、最近の傾向として、類型論を支持する研究報告はありません。この理由は、当時の学者が思弁的な推論から概念構成を経て各類型のイメージを創ったからです。これに、一部の都合のよいデータを切り取って当てはめようとしたため、再現性や妥当性を欠くこととなりました。しかし、世俗的には類型論は占いと変わらないにもかかわらず血液型性格診断のように人気があります。現代では、パーソナリティは主要な特性を検出し定量的に検討する特性論が主流です。 生理・行動指標を用いた客観的データは、個人特性の研究の要因として、古典的な性格類型論とは全く異なる視点からの個人がそれぞれ固有に有している行動や感情の特徴の抽出を試みることが可能です。パーソナリティ特性との関連性を検討した生理・行動的研究には、反応時間や脳波や前頭血流などから得られた定量的データから個人の特徴的なパターンを抽出する立場と、従来からの質問紙法や投影法などによって得られるパーソナリティ特性との関連性を明らかにしようとする立場があります。この2つの立場はパーソナリティの特性論的観点に基づいており、人間のパーソナリティは少数の類型に収めることはできず多様性を持つことが前提でした。また特性論にも、自己内省に基づく従来のパーソナリティ測定は、検査を受ける人の主観を数量化しただけであり、単なるセルフリポートに過ぎないという批判があります。いっぽうで、特性論と類型論を分けるのではなく、2つの理論を包括する検討ができるという指摘もあります。
依田研究室
私が所属する東北文教大学人間科学部の人間関係学科は2021年度に開設された新しい学科です。私は当学科で、基礎ゼミⅠ・Ⅱ、情報倫理、情報検索、メディアと人間関係などの科目を担当しています。 私の専門分野はメディア情報学です。もともとは、情報検索、データベース、デジタル・アーカイブなどが主な研究テーマですが、最近はインターネット上での表現活動で考慮しなければならない情報倫理に興味・関心があります。ここでは、所属している学科名でもある「人間関係」に絡めて、私の興味・関心や授業で学べることを簡単に紹介します。 皆さんは「表現の自由」という言葉を聞いたことがありますか?みんなで話し合って物事を決める民主主義において、最も重要だとされる自由です。何故なら、人が他者と接点を持ち人間関係を構築していくためには、自分の考えを言語・非言語を問わず何らかの形で表現しなければならないからです。この際、自由な表現が認められないのであれば、誰もが自分の考えを他者に伝えることができなくなるため、みんなで話し合ってということが成立しなくなります。だから、「表現の自由」というのは重要なのです。 一方で、「表現の自由」に任せて、好き勝手に表現活動を行っていいかというとそうではありません。例えば、腹の立った相手に対して根拠のない悪口を表現してしまえばそれは誹謗中傷になりますし、それが束になってしまえば炎上になります。あるいは、友だちの変顔をスマホで撮影し、自分には愉快な仲間がいること表現するために、友だちの意に反してその画像をネットにアップしてしまえば、友だちの人権(肖像権)は傷つけられることになります。逆の立場であれば、自分が傷つけられることになります。これは、好ましいことではありません。従って、「表現の自由」はある程度抑止されることが望ましいことになります。このような両方の立場の気持ちや権利について考えるのが情報倫理です。 皆さんはここまでの話を当たり前だと思ったかも知れません。確かに、当たり前です。では、何が難しいのかというと「ある程度」とはどれくらいが妥当なのかという点になります。妥当な「ある程度」は、個々人によって異なるのはもちろん、地域や国に基づく文化によっても異なりますし、同じ文化の中でも時代によって異なります。このような中で、より適切な人間関係を構築できるような妥当な「ある程度」を考えることに興味・関心があります。 ところで、考えが異なるから不便なのだ、考え方を統一すれば不便さも解消されるんだと思った方もいるかも知れません。実は、現在の主流的な考えである新自由主義やそれに基づくグローバリズムには、考え方の統一を促進する傾向があります。グローバルスタンダードがその一例です。この際、注意しなければならないことは、考え方の統一を重視しすぎてしまうと考え方の多様性が損なわれてしまう点です。多様性が損なわれれば損なわれるほど、新しいものは生まれにくくなりますし、社会の変化にも対応できにくくなります。当学科にはグローカルコミュニケーションコースがありますが、グローカルとはグローバルとローカルを融合された造語です。これは、個々のローカル(地域や国)の文化を尊重しつつ、つまり多様性を損なわないことに配慮しつつ、地球規模でのよりよい交流を考えていくものです。身近な人間関係と地球規模の人間関係の両方を尊重していこうとする、まさにこれからの社会で求められる考え方になります。 こんなことを皆さんと一緒に考えていけたらなと思っています。
橋本ゼミ
私の専門領域は老年看護学であり軸足は医療なのですが、自分の研究領域の範囲は医療と福祉にまたがっていると考えています。研究活動を始めたときのテーマは、高齢者施設に入居している方の最期をどのように支えるべきという観点のもので、当時の私の研究のキーワードは「いのちは誰のものか」でした。なぜなら、高齢になって老衰の状態の方に、無意味な延命治療が当たり前に行われていたり、本人の意思よりも家族の意思が優先されていたからです。自分に関することを自分の意思と判断によって選択、決定する自己決定はすべての人に認められている権利であり、医療においても福祉においても意思決定支援はなくてはならない倫理的観点です。さらには、高齢者施設に入居している方のみならず、障がいによって自分の意思を表出できない方や、認知症があってコミュニケーションが困難な方にとっても、自己意思決定の権利は当然守られなければならない重要な価値です。そして、意思決定とそれに基づく行動はすべての人に保障されるべきことなのに、意思決定は等しく保障されているといえるでしょうか。私たち誰もが、自分の望みに沿って日常生活を送ったり、最期のその時まで自分らしく生きるための意思決定ができる仕組みが必要です。 一方、日常生活の延長上にある「死」は大切な人との別れであり、未知の世界への旅立ちです。そのため、自分自身の「死」や大切な家族の「死」なんて考えたくないと思うことは当然のことです。しかし、終末期医療の草分け的存在である河野博臣氏は、「人間にとって生も死も一体である。いのちの精神性においては死があるからこそ生きる時間のかけがえのなさが照らし出される。死があるからこそ遺された者がそこから生き方について学ぶべきものを忘れ得ぬ形で獲得できる」と述べています。つまり、死を学ぶことはよりよく生きることにつながるというのです。「いのち」とは、人の思い・性格・生活・思い出・大切なこと・誇り・その人丸ごとであり、決して身体だけではないということ、「いのち」を救うことは、その人の生き方を肯定し、たとえ身体が亡くなっても、その人の思い出を大切にして共に生き続けることだと思うのです。最期まで自分らしく生きること、そしてそれを支えることについて一緒に学んでみませんか。
三道ゼミ
私の専門は臨床心理学で、これまで臨床心理士/公認心理師として、子どもやその家族への支援に関わってきました。特に教育の領域では、小学校から大学までの教育相談に携わってきた経験から、ゼミでは幼児期から青年期までの子どもの発達やその家族支援が主なテーマになります。 ゼミでは、子どもの発達や家族支援をテーマとする研究を通じて、保育現場における課題を解決していく問題解決力を身につけることを目指しています。そのため研究のテーマ設定では、その研究が保育現場でどのように役立つのかという視点を特に重視しています。このような保育現場における課題の一助となる研究テーマを設定するには、大学の講義で得られる知識だけでは難しく、実習、ボランティア活動、インターンシップ等の学外活動において、実際に子どもや地域と関わる経験をすることが大切です。本学科では、学生たちが1年次から保育や教育現場を体験できるボランティア活動やインターンシップを豊富に用意しているので、学生には講義のない時間に積極的に参加し、子どもとの関わりを学ぶだけでなく、保育や教育現場における現状や課題についてもアンテナを張るように声をかけています。 またゼミでは、自身の興味関心に沿って、文献を探し、読み込み、レジュメにまとめて発表し、議論するという作業を繰り返し、ゼミ生同士の主体的な学びによって論理的思考力やコミュニケーション力を養っていくことも目標としています。ゼミ生の多くが保育職を目指しているため、研究作業を通じて培った論理的思考力、コミュニケーション力、問題解決力により保育現場の課題解決に貢献できる人材を輩出していきたいと考えています。
髙梨研究室
現代は、生活に困っている一部の人に対して特定の人が提供する「限定的社会福祉」ではなく、あらゆる人が自分らしく生きるために生活の質を向上させる取り組み全般を指す「普遍的社会福祉」の時代になったといわれています。社会福祉の普遍化(一部に偏らずにまんべんなく)と一般化が進んでいるのです。それを実現させる取り組みでありスキルの一つが「ソーシャルワーク」といえます。 また、その社会福祉や医療、社会保険や公衆衛生を含めた概念として「社会保障」があるわけですが、社会保障領域に携わる人間に共通することは、人間を対象として、しかも主に人間に対して援助を提供する「対人援助職」であるということです。 人間を相手にするということは、特に人間を援助するということはどういうことなのか。その意味を問いながら、考えを深めながら研究していきます。 それは、とりもなおさず皆さんの自分自身の人生を考えることにもつながるのです。人間を対象とした仕事をしていると、自分の人間としての力量や器、そして生き方を顧みる機会に遭遇することがあります。対人援助としてのソーシャルワークのスキルを磨きながら、皆さん自身の人生を豊かにするために学んでみてはいかがでしょうか。
篠永ゼミ(とぶラボ・ToB-LaB)
子どもが何かを描き始めるとき、白い画面の中にぐちゃぐちゃの線が描かれていきます。それは意図的に何かを描いているというよりは、腕の動きの軌跡と捉えられます。ぐしゃぐしゃの線は次第に一定のストロークを保つようになり、閉じた円となり、その中に目や口が描かれ、そこから手や足が生えてゆきます。まっすぐな線を描くようになるのはもう少し先です。 さて、人は何故、手を動かして何かを作ったり、描いたりするのでしょうか? 何かを描いたり作ったりしなくても、人間は人の一寸した表情や動きから様々な情報を読み取ったり、微細な感情を受け取ったりします。「表出」が「表現」へと変化していく中で、ヒトは人になっていきます。 そしてその「表現」は、人間の身体を通して表されます。 篠永ゼミは、保育者を目指す学生と小学校教諭を目指す学生が、産まれてから小学校を卒業するまでの子どもを対象として、「子どもの表現活動」について考え、学びを深めていくゼミです。特に、造形表現の視点から掘り下げていくことが多いです。小学校の図画工作科における教材の研究や、保育内容の表現に含まれる、子どもを取り巻く様々な「表現」を取り上げて、様々な造形技法を実際に体験したり、文献講読を通してさまざまな角度から考察しながら、卒業論文に結びつけていきます。 昨年度、学生が取り組んだ研究テーマとしては、日常生活や幼児教育の中で子どもの音楽体験がどのように変化しているのかという研究や、図画工作科における「鑑賞」について山形美術館に実際に収蔵されている作品を対象とした鑑賞ワークシートを作成したり、小学校の国語科の中で学ぶ物語を、図画工作科に繋げて授業展開していく研究や、レッジョエミリアを参考にしながら、地域の商店街や工場などから出る廃棄物を、地域と小学校が協同して回収し、図画工作の授業で使用する素材として再利用するという研究など、様々です。 人間の身体を通して表現される様々なものや音、動き、感情などを捉え、考えることは、人が生きてる限り続いていく大きなテーマともいえるでしょう。保育や教育に関わる仕事を目指す人たちに、是非取り組んでいただきたい研究テーマです。共に学びを深めていきましょう。
杉中研究室
これを読んでいる皆さんは、眼鏡やコンタクトレンズをされていますか。あるいは裸眼で、昼間でも星がみえるほどパッチリですか。たとえば、見え方のさまざまな人達が一堂に会する教室で、ホワイトボードにはどのような文字をどんな大きさで、何色で書くとわかりやすいのでしょうか?さらに、皆さんの周りを見回すと、物静かな人やちょっと落ち着きのない人、敏感な人や大らかな人、暑がりや寒がりがいますよね。そのような感じ方さえも人それぞれの教室で、先生はどのような教え方で授業を進めるべきですか?エアコンは何度に設定する? 特別支援教育とは、学校や園において子ども一人ひとりがもつ個性や特性を踏まえ、そこに生じた課題を、アイデアとデータで解決していく学問です。フィールドワーク、文献調査、実験、アンケートやインタビュー、教材や教え方の開発・評価など、アプローチはたくさんあります。その対象も、障害のある子どもはもちろん、情緒面に難しさのある子ども、外国にルーツをもつ子ども、はたまた自分自身などさまざまです。すべての人には個性があり、学習や生活に対する感性もまた、無数にあるからです。 ところで皆さんは、毎日が楽しいですか?それとも、何か課題を抱えながら日々過ごしているでしょうか?実は、障害や生活の困難さというものは、周囲の「環境」の影響を受けて強まったり、弱まったりする一面があります。皆さんも、大学に入学したり就職したりすることで、環境が変われば、良かれ悪しかれ、また違った景色がみえてくることでしょう。ここでいう「環境」とは、物理的なモノにとどまらず、皆さんを取り巻くヒトや、コトも含まれます。これを読んでいる皆さんも、今はたまたま健康体なのであって、今後、特別なニーズを持つ機会があるかも知れません。そんなとき、周囲の理解や、適切な支援があれば心強いのではないでしょうか。 「特別支援教育はすべての教育に通じている」と言われます。さまざまな個性に配慮して教えることができる先生の授業は、きっと誰にとってもわかりやすい授業です。そんな先生のいる教室は、結果としてみんなが過ごしやすい空間になるはずです。このことは、多様性ある現代において、すべての教員、ひいてはすべての人々に求められる視点といえるのではないでしょうか。ともに学び合い、探求してみませんか。 参考情報:https://researchmap.jp/suginaka
大野寛 研究室
天文学の研究と並行して星空案内人として20年ほど活動してきました。ここでは、「星空」という学内向けオンライン星空観望会について紹介します(これは、遠隔授業システムを利用した試みで卒業研究につながるゼミとは異なります)。 宇宙は、さまざまな角度から楽しむことができます。星空を観て楽しむ、星空の文化を楽しむ、宇宙に関する技術(観測・ロケット)を楽しむ、現代天文学を楽しむ等々。私の授業「人間と宇宙を考える」では現代天文学が明らかにしてきた宇宙像について主に講義していますが、星空を観て楽しむ側面も紹介したいと思っており、望遠鏡で観望したりします。月のクレーターや土星の環等、機会があれば観望してきました。 さて、月・惑星・星団は望遠鏡で観えるのですが、星雲等の淡い天体を観望することは困難でした(図鑑等に掲載されている美しい写真は、時間をかけて光を集めて撮影したもので、望遠鏡を覗いて観ることはなかなかできません)。星空を観望する技術で、ここ数年、電視観望というものが注目されています。CMOSカメラ(スマホ等で使用されています)を望遠鏡に取り付けパソコン上で処理することで、ほぼリアルタイムに星雲等を表示することができるのです。これは、観望会でも星雲を楽しむことができると思い教材研究を始め、なんとか使えるようになってきました。そのような頃、新型コロナウィルス感染症が社会活動に大きく影響し始めました。多くの公開天文台等でも活動できない状況になりました。電視観望装置とオンライン会議システムを利用すればオンライン観望会ができると、全国の星空案内人達が考え、オンライン研究会も行われました。 本学でも、オンライン授業の仕組みが整えられており、電視観望装置と組み合わせれば、オンライン観望会ができると考えていました。2021年5月26日には、皆既月食がありましたので、それを中継することをとりあえずの目標にして事前の観望会を何回か行い技術を確認しました。月食の時は、100人程度の参加があり盛り上がりました。その後も不定期ですが月1・2回、観望会を行ってきました。夏の星座・天の川・秋の星座・木星・土星・冬の星座・オリオン大星雲等々。天候の影響があるため通知が直前になってしまうので参加が難しいと思うのですが、毎回数名の方が参加してくださいます。今後も、星々がよく見える晩に、オンライン観望会を行いたいと思います。星空案内の技術を高めて楽しんでもらいたいと思いますし、また、星空案内人を目指したい学生が現れたらうれしく思います。