先輩・先生・授業
カリスマ的存在、ヒステリックグラマーのデザイナー

卒業生 仕事 ファッションデザイナー
北村 信彦 さん
ファッションデザイン学科
1984年卒業
プロフィール
1984年ファッションデザイン学科卒業。卒業後、(株)オゾンコミュニティ入社し、HYSTERIC GLAMOURを立ち上げる。1960年代後半~80年代前半のサブカルチャー的要素を取り入れたデザインで注目を集め、世界のストリートファッションを代表するブランドとして独自のポジションを確立。現在、ショップの内・外装や家具のデザイン、写真集のプロデュースも手がけており、活躍のフィールドは多岐にわたる。
現在の所属先
HYSTERIC GLAMOUR
1986年、初めてニューヨークへ アンディ・ウォーホルに会いたくて
初めてのアメリカは、1986年の年末のことだった。休暇を利用し、愛車を売ったお金を旅費に充てて旅立つ。が、アポイントも何もない、いわゆる“突撃訪問”である。ニューヨークに到着後、まずはウォーホルを知る人を探し出すことから始まり、どうにか事務所と連絡がついたものの、あいにく主はバカンス中で不在。仕方なく次に会う約束を取りつけて帰国する。スケジュールを調整して改めて渡米するつもりでいたが、その翌月、ウォーホルは帰らぬ人となってしまった。月日は流れ2005年、アンディ・ウォーホル財団から、日本でのアパレルラインのプロデュースしてほしいという依頼を受ける。あの時会うことが叶わなかったウォーホルと、思いがけない縁でつながった。翌2006年、ANDY WARHOL BY HYSTERIC GLAMOURがスタート。ウォーホルの作品が北村氏の独特な感性によって新たな息吹を得、颯爽と甦ることとなったのだ。

音楽、アート、カルチャーがクリエイション
1960~80年代の洋楽に傾倒 そこから広がったデザイナーへの道
HYSTERIC GLAMOURは、北村氏が大きく影響を受けた1960年代後半から80年代初頭にかけての音楽やアート、カルチャーをポップかつユーモラスにアレンジして表現しているのが特徴である。「そう、すべては音楽から始まった」。中学生の頃にロックに目覚め、音楽にどっぷり浸かった青春時代を過ごす。そしてそんな自分の好きな世界をトータルに表現できる手段として選んだのがファッションデザイナーという職業。ティーンエイジャーの頃に描いた夢は、HYSTERIC GLAMOURを通じてしっかりとした現実になった。前出のようにANDY WARHOL F0UNDATIONから依頼が来たこともそうだし、好きだったミュージシャンからコラボレーションのオファーが舞い込むことも多々ある。「それが偶然なのか、必然なのか、自分ではわからないのだが・・」好きな世界を追求し、変わらずにきたこと。それに対する評価がうれしい。
ファッションの道は甘くはない 時代を意識しているか 覚悟はあるか
これからファッションの道へ進もうする後輩たちに対しては、「いろいろな面で今は本当に厳しい。そんな時代にデザイナーを目指すというのは相当な覚悟が必要」と辛口だ。「まずは経済情勢が非常に厳しい。そして、エンターテインメントも既に出尽くしてしまっているような時代。それでも自分が生きている時代を否定することはできないから、受け入れるしかない。そういうことを認識したうえで、チャレンジする気持ちを持っているか。自分なりの信念はあるか。逆に僕は問いたいぐらいだ」専門的な仕事をしたいのなら、そのくらいの意識は持っていて当然ではないのかとの考えだ。後輩へのメッセージは「好きで入った世界だから、モード学園では思う存分悩んだり、楽しんだりしてください」。強烈なポリシーから生み出される彼のデザインは、これからもファッション業界を振るわせるだろう。



